性の悩みは尽きるところがありません。 私がはじめて性行為を体験したのは19歳、ところは栃木県黒磯の温泉宿でした。 相手は4つ年上の職場の同僚。かぶりつくようにして相手の女性にのしかかり、あっという間に行為が終わってしまったことを思い出します。ただの動物よろしく性欲を始末しただけのことで、喜びも何もあったものじゃありません。 私は年上の女性の関心をそそるたちらしく、その後も、同じような年齢差の相手をつとめることが続きました。 この世にある人を性別で分けた場合、女性の数が多いのは常識です。しかも、私の職場は7割以上が女性。いわゆる「行きそびれてしまった」人も多く、そういう人たちとちょっとしたきっかけで縁ができました。 手当たり次第だったと言っていいと思います。 性力にも自信がありました。 ところが、結婚には何の関心もなくやがて迎えた40代、私は急速な性力の衰えを自覚することになります。 東京・立川市の駅から徒歩10分ほどのところに、飲屋街と1つ路地を隔てて、ホテルが2軒並んでいる場所があります。2軒のホテルは、値段が違い、格が違う。それで競合しない関係にあります。 私はいつもそのうちの安い方を利用していましたが、ある午後(そう、夜ではありませんでした。午後でした)、つきあいはじめて間もない女性とそこに入りました。カーテンを閉め切り、部屋の明かりを最小限に落として、ベッドイン。 しかし、行為が続いたのは、ものの15分でした。ということは、立たなかった? いえ、違います。立つことは立ったのです。でも、持続力がありませんでした。 それは、私にとってはじめての体験でした。相手の女性もなにやら不満顔で、私は即座に謝りました。 その女性とは、もう一度機会がありました。場所は同じ立川です。 このときは、私は前回の記憶がまだ生々しかったので、高級なほうのホテルを選びました。部屋のムードが変われば、気分も昂揚する。前回のような失敗はないだろう。単純すぎるようですが、そう考えたのです。 結果はだめでした。前回より多少はましで、相手の女性もそれなりにあるレベルまでは「達した」ようでした。時間もやや長かったでしょう。 しかし、ことが終わって、部屋を少し明るくしたとき、私の目の前にあったのは、前回と似たような、いかにも物足りなさそうな相手の顔でした。 その女性とそれきりの関係で終わったのは、いうまでもありません。 性行為は、相手の女性あってのもの。自分一人が満足すればいいというものではありません。 相手も自分も充分に堪能し、満ち足りた時を迎える。そうでなければ、本当の性の楽しみを味わうことはできません。 私の40代前半は、その意味で情けないものでした。相手の女性に充分な満足を与えることができたのは、数えるほどしかありませんでした。 性欲はむしろ以前にも増して旺盛でした。しかし、身体がそれに応えてくれません。私は、性欲=精神生理と性力=身体能力は別物なのだという単純な真理に気づかざるをえませんでした。
私が日々の食生活に気を配るようになったのは、その頃からです。
このレポートは、その10年の成果です。 “雨上がりAmeagari”磯山 彰
目次 ◆A4判PDF(総ページ130)
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